実録『或る老人の場合』
    :はじまり編
  (社)大阪建築士事務所協会
機関紙 「まちなみ」より
有限会社フォルム・ディ
代表取締役 河添 佳洋子

これは、ひとりの資産家老人が見舞われた建築騒動の物語で、私が接した事実に、多少脚色を加えたフィクションです。
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1【プロローグ
2【1月7日夜
3【1月9日夜
4【1月16日昼下がり
5【1月19日夜
6【2月10日昼下がり
7【2月15日昼下がり
8【2月17日夜
9【2月18日
10【2月21日夜
11【2月28日
12【2月29日
13【3月1日
14【3月4日夜
15【3月6日
16【3月4日
17【ちょっとだけ後日談
18【おしまいに

【プロローグ】
今年の正月、老人は、例年の様に子供や孫に囲まれ、賑やかな時間を満喫した。
冬景色の庭は、庭師に大金を支払っている割には寂しくなってきた。粋を凝らした池も、水を抜いてからどれくらい経つのだろうか。子供達が小さい頃は、この池で素っ裸になって泳いでいたものだ。庭の隅にそびえるクスノキは長女のお気に入りで、小学校から帰ってくると、制服を着替えもせずこの大木に登って妻に叱られていた。4人の子供達の喧騒を、老人は嫌いではなかったが、たまにはゆっくり考え事をしたいと離れを建てた。しかしこれも、ちょっと油断した隙に受験勉強の為と称して息子に乗っ取られてしまった。
他人には不肖の子供達だとこぼしてはいるが、やはり親ばか、自慢の子供達である。
物心ついたときからこの屋敷で、何の苦労も無くのびのびと育った。世間知らずのお坊ちゃまお嬢ちゃまのまま大人になり、未だに老人が妻に内緒で少し纏まった小遣いを遣ると、嬉しそうに受け取ってくれる。妻は妻で、自分に内緒で小遣いを遣っているのだろう。
老人夫婦にとって決してしんどい援助ではなかった。世間に後ろ指を指される事の無い、純な人間に成長してくれた事が嬉しかった。

老人は、一介の職人から身を起し、昭和30年代に、500坪を超える屋敷の家を手に入れた。日本の高度経済成長の波に乗り、発足させた会社は順風満帆ではあったが後継者に恵まれず、バブル崩壊にあわせて会社を整理するハメに至った。息子や娘が後を継いでくれる事を、期待しなかったといえば嘘になる。が、無理強いするつもりも無かった。自分一代で思い切り商売し、恥ずかしくないだけの資産を築いた。この国の経済は、昔とは様相を一変してしまった。潮時と判断したのだった。
清算を決定すると、得意先から意外なほどの注文が殺到し、従業員にも充分なことをしてやれたと、老人は得意満面であった。この住まいについても、一切の担保のつかない綺麗な形で残す事が出来た。お嬢様のまま年老いた妻は、この屋敷で安泰に余生を送れるだろう。息子達も、そろそろ人生に欲が出てくる頃だ。誰かひとり位はこの屋敷を継いでくれるかもしれない。そうすれば、自分が先立った後も安心だ。

会社の清算がようやく落ち着いた頃、老人は、急に心配になった。「ワシに万一のことがあったとき、果たして500坪のこの家を無事に相続できるんやろか?」 会社の清算に追われていたときは毎日が忙しく、誰かが何とかするだろうと楽観していた。気付かせてくれたのは、A社という建設会社だった。
ある日突然この家を訪れ、「社長。これだけのお屋敷を相続するとなると大変ですよ。税金ごっそり持っていかれます。子供さんたちのために、この家を潰して賃貸マンションを建てるべきです。社長の懐は一切痛みません。借り入れのお手伝いはバッチリ致します。」と営業マンが言う。老人が借金を抱えて賃貸マンションを建てれば、子供達が大きな負担無く財産を相続できるという単純なもの。老人は思った。「そう言えば会社を整理したとき、個人資産も考えておかないと、相続のときに子供さんが苦労されますよと税理士に言われていた。会社の整理に躍起になっていて忘れとった。」
老人はA社の社名には馴染みがあった。有名企業だ。このあたりでは随分沢山建てている。「いっぺん計画させてください」と営業マンが言うので、それならと、計画依頼書にサインし10万円の費用を支払った。A社は、すばやく計画案と試算表を用意してくれた。「これならいいかも知れない」と思い、息子に見せた。
「オバチャンの旦那さん、設計事務所やったんちゃう? 見て貰うたら?」
そうだった。老人の妹が、設計事務所の経営者に嫁いでいた。
老人にとって妹の亭主はイマイチだった。大阪では名のとおった有名事務所ではあるが、老人とは何故か疎遠で、これまで借家を建てたり家を改造するときにも、一切相談した事はなかった。が、折角息子が言うのだからと、久しぶりに電話してみた。
その日のうちに妹が飛んできた。「お兄ちゃん、何考えてんのん! A社なんかあかん あんなとこ頼んだら滅茶苦茶されてしまうでぇ うちの人もびっくりしてたわ あんなエゲツナイ会社無いねんから 私でも知ってる位やよ ホンマよう相談してくれた事やわ ひどい眼に逢うてたかもしれへん」 まさにA社に対する罵詈雑言の嵐だったが、老人は目を丸して聴き、これを信じた。即刻A社に連絡し、その話は無かった事になった。
(続く)


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