2010年11月26日 16:32 -CATEGORY: コラム
Tさんは公務員です。1人で暮らしていたお母さんが阪神大震災で被災し、一緒に暮らそうと、この家を買いました。
新築の建売住宅です。大きな土地をニ分割したらしく、よく似た家が2軒並んでいます。Tさんも奥さんも、日当たりが良くて静かなこの家が、ひとめで気に入りました。二軒のうちの片方は、既に住んでおられるようなので、話を聞いてみようとインターフォンを押してみました。
Yさんというご家族で、Tさんが隣を買おうと思っていると告げると、大変悦んでくれました。Yさんはサラリーマンで、Tさんが公務員である事を知り、安心したようです。Tさんと同様、日当たりと静かさが気に入っているとの事です。事業主は大きな会社ではないが、社長が実直な人で、是非逢ってみたらいいと言われました。
Tさん夫婦は、その足で事業主の会社を訪れました。この家に近く、社長Mさんの「近所でえぇ加減な仕事しとったら生きていかれしまへんがな」の一言が気に入りました。震災で大きな被害を受けた建物の多くが、建築基準に違反していたという事を新聞で見ていたので、「この住宅は、違反建築ではないですね」と聞くと、社長は「心配ありまへん。役所の検査にも、ちゃぁんと合格してまっせぇ」との事。安心して決心しました。
契約時に貰った書類の中には、建築確認の副本と検査済証が含まれていて、社長の言葉が嘘ではなかったと、嬉しくなりました。
ある土曜日、夕食時に気付きました。Yさん宅に明かりがついていないのです。旅行にでも出かけたのかなと思っていました。
日曜日の朝、この家を売ってくれたM社長が、突然やって来ました。工務店を連れています。「お隣のYさん宅を、ちょっとリフォームする事になりました。お騒がせしますが、宜しくお願いします。」新築後僅か半年でリフォームなんて、Yさんはえらくこだわる人なのかなぁと、Tさんはあまり気にしませんでした。
翌日から工事が始まり、外側に足場が組まれシートが掛けられ、Yさんの家は見えなくなってしまいました。内装をいじくる程度だろうと思っていたTさんは驚きました。こんなに大規模なリフォームをするのに、Yさんからご挨拶が無い事も不思議でした。
工事は、半月経っても終わる様子がありません。
日曜日、工務店の人が来ていないのを確認してから、興味津々、現場の中をのぞいてみました。
Tさんも奥さんも、唖然としました。立ち尽くしてしまいました。壁や天井の殆どが解体され、一部床も無くなっているではありませんか。でも、家具は残っています。各部屋の中央に集められて、しっかりシートで包まれています。
「いったい何処までリフォームするんだろう」「これじゃまるで棟上げまで戻っている」「なんでここまでしなきゃいけないんだろう」「もうしかしたら家相が悪いとか言われたんじゃ?」・・・Tさんの想像はどんどん膨らみました。
その後、殆ど建て替えに等しい工事は3ヶ月ほど掛かってようやく完成し、シートが外されて建物の外観が現れました。外から見る限りでは、元の状態とは何も変わっていません。窓から覗いてみると、間取りも全く変わっていないようです。家具も、殆ど元通りに置かれています。Tさんは狐につままれたような気分でした。
すぐに、Yさん一家が帰ってきました。ご挨拶に来られたので、聞いてみました。
「いったいどうしておられたんですか?」『ホテル住まいさせて貰ってたんですよ。最初は気分良かったんですがねぇ、やっぱり自分の家がいいですよ。疲れました。』「ホテル住まい? させて貰った? どういう事ですか?」『M社長がね、申し訳ないって言って・・・』「M社長が? 申し訳ないって・・・どういう事?」『うちの家がね、欠陥住宅だったんですよ』「えぇ?!」『欠陥住宅ですよ。時々テレビでやってるでしょう。あれですよ。』「欠陥住宅・・・? 何処が・・・? どうしてそんな事に・・・?」『調べてもらったら判ったんですよ。ほら、この先のAさん、あそこの家がね、欠陥住宅で裁判してるんですよ。それでね、Aさんに建築士を紹介して貰ったんですよ。』「それで・・・?」『非常に深刻な欠陥住宅ですよって言われましてね、ビックリしましたよ。んでね、どうしたらいいんですかってその建築士に聞いたらね、事業主と交渉してあげるって言って呉れましてね。すぐにM社長を呼んだんです。私と同じくらいビックリしましてね、その場で携帯で工務店に電話してましたよ。』「それでこんな大規模なリフォームを?」『えぇ。M社長ね、泣いてましたよ。うちとTさんの家を建てた大工は、初めての大工だったらしいんです。これまで頼んでいた大工が忙しかったらしくてね。少しくらい待ってでもあいつにやらせりゃ良かったって、悔しがってました。ここを建てた大工は全然反省してなくて、出るトコへ出てもいぃとまで言ったそうですよ。それで、M社長は、とりあえずこれまで付き合いのあった大工に頼んで、うちの家を修理してくれたんです。しかしねぇ、ホテルまで用意してくれたんですから、あんまりきつい事も言えなくてねぇ。やっぱりM社長は実直な人ですよ。』
Tさんは、頭が真っ白になりました。・・・冗談じゃない! うちの家も同じ大工が建てたんだから、・・・じゃぁ、うちも欠陥住宅じゃないか!
すぐにM社長を呼びました。憔悴しきった様子でM社長は「この家も、同じ大工に頼みましたから、もしかしたら欠陥住宅かもしれません。資金繰りがもぅちょっと良くなれば、すぐにTさんの家も改修させて貰いますんで、少しだけ待ってください。あの大工を訴えます。訴えて、何がしかの金でも取れたら、すぐに・・・」
Tさんは、建築相談に出かけました。
完了検査済証もあるので、もし欠陥住宅だったら行政を訴えますかという弁護士の言葉に、少し考えさせて欲しいと返事を留保して帰りました。
夫婦で話し合い、数日後、建築士に調査してもらいました。
案の定、欠陥住宅でした。
① 建築確認の副本に書かれた耐力壁では、法の基準を満足していない事
② 実際に施工された耐力壁は、建築確認より少ない事
③ しかも、筋違を固定する金物のボルトが外されていた事
これらの事実から、建築士は、この家は安全とはいえないと言います。Tさんは、じっくり説明を聞いて、欠陥住宅であることを充分理解しました。
しかし「①」の、建築確認そのものに問題があるという事は、Tさんにとってショックでした。Tさんは30年間公務員として真面目に奉職して来たつもりです。同じ公務員の職務である建築確認が、こんなにいい加減だなんて考えられない事ですが、事実なのです。相談に応じてくれた弁護士が言うように、行政を訴えるという事も考えられますが、しかし・・・。Tさんは躊躇しました。
M社長と何度か話し合いましたが、M社長の資金繰りが改善する様子は見られません。とうとうM社長自身から「どうぞ訴訟してください。私はあの大工を訴えていますから、もし勝てれば、その分きっちりTさんにお支払いします。」と言い出しました。いろいろ考えた結果、行政を訴える事はせず、M社長とその会社・建築確認に記載された設計監理者を相手取って訴訟しました。確認上の施工者は事業主の「直営」になっており、問題の大工を相手取る事はしませんでした。
裁判の途中で、M社長は会社を閉めてしまいました。M社長の家は抵当に入っていてあてに出来ない事も判りました。設計監理者は引越ししてしまい、行方がわからなくなっていましたが、半年ほどかけて探し出しました。しかし、資産といえるようなものは無いようです。
裁判当初は、M社長側から反論も出ました。筋違の固定ボルトが外されていた事について、「Tさんの家を調査した建築士が外したんだ。他人を陥れるような汚い事をするな!」と反論してきたのには驚きました。なんて事を言うのでしょう。
行政はちゃんとチェックしないで確認をおろすし、耐力壁が確認図面より少ないのに完了検査に合格させてしまう。しかも調査してもらった事実に、こんな形で反論されるなんて、一体建築の世界はどうなっているんだろうと、とても空しい気持ちになってしまいました。
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この裁判は、一審で、取壊し建て替えに相当する賠償金の判決を受け、確定しました。しかし、Tさんは何も実行できていません。今も、何もしないままこの家に住み続けています。
この後、建築確認検査業務が民間開放され、現在に至っています。消費者の利益を疎外しない、適切な業務遂行を期待するところです。
お母さんは大喜びで引っ越してきました。Tさんの奥さんはさっぱりした人柄で、お母さんにべたべたする事も無く、とても自然なかたちでの同居がスタートしました。
ご近所は、Yさんをはじめ皆さんよさそうな方々で、Tさんの奥さんもすぐに馴染め、半年ほど経ちました。
2010年11月26日 16:31 -CATEGORY: コラム
私は九州の地方都市A市の生まれです。縁あって、医学生として過ごした琵琶湖岸の町で医院を開業していましたが、これを友人に譲り、故郷で開業する事にし ました。幸いに、高校時代の同級生BがA市で建設会社の社長をしているという事がわかり、土地の入手から相談に乗ってくれて、とんとん拍子に事が運びまし た。
A市に帰るには、飛行機を使ったとしても空港までの行き来を含めて片道4時間以上掛かります。Bも「悪いようにはしない。任せてお け」と言います。殆ど任せきりで、引っ越すまでの間現場を訪れたのは、土地購入の契約と、地鎮祭・棟上げの3回きりで、あとは電話とFAXの遣り取りだけ で設計から工事までやってくれました。木造2階建であるにも関わらず、念のためにといって杭も打設しました。診察室や待合室は明るいほうがいいからと、1 階の南面の殆どを大きな窓にしてくれました。私も家内も、同級生だから我が事のように考えてくれているのだと、おおいに満足していました。
工 事は予定より遅れました。しかし、今の医院の売却先の事情もあって、明け渡しを延ばす事は出来ません。住める状況にはなっているという話ですので、兎に角 引っ越す事にしました。弾む心で入居し、新しい家で迎えた初めての朝は雨でした。「雨降って地固まる・・・か」と幸先良く思え、二階の寝室から階下の診療 所予定スペースに降りて、びっくりしました。待合室が水浸しではありませんか。
驚いてBに電話すると、すぐに飛んできて補修してくれました。幸い、医療器械はまだ到着しておらず、大きな被害には到りませんでした。
「B君、大丈夫なのぉ?」と言いながらも、心の中では「きっと大丈夫だ」と自分に言い聞かせ、遅れて到着した医療器械の設置などに追われました。残っていた工事も進み、新しい事務機器や家具なども揃い、立派な看板も出来てようやく開業にこぎつけたのは、ひと月後でした。
患者さんの集まり具合は順調で、町内の人達も沢山来てくれます。好調の出だしを悦んでいたさなか、また待合室が水浸しになりました。今度は診察室の天井からも漏っているようです。患者さんは「新築だからねぇ、いろいろあるんじゃないですか」と笑って許してくれています。
それから1年ほど、少し纏まった雨が降ると漏水し、そのたびに被害の範囲が広がりました。最初のうちはすぐに様子を見に来てくれていたBが、この頃には何度電話しても来なくなりました。
患 者さんの中に年老いた大工さんが居ます。すぐ近所に住んでおり、この建物の工事をずっと見ていたのだそうです。「大黒柱の据え方が気になっていた」と言い ます。診察室は40帖ほどの大きな部屋で、中央に二本、大黒柱があるのですが、その足元が「止まっていない」と言うのです。どういう事だと聞くと、「言葉 では説明できない。柱近くの床に穴を開けてあげるから、自分で見なさい」と言われ、見ると柱が基礎の上に置いてあるだけの様に見えます。夕方の診察開始を 待っていた患者さんが興味半分で眺めていて、「先生、これは駄目だわぁ」と無責任な事を云います。
翌日来た患者さんの中に、地元では有名 な建設会社の部長さんが居て、この穴に気付きました。「この大黒柱、止まってないんですか?」と言います。そして「先生、こんないい加減な事をする業者だ から、雨漏りの修理にも来ないんですよ。この穴を塞がずにガラスで蓋をしたらどうですか。患者さんたちに公開したら、業者も動かざるを得なくなりますよ」 と言いました。そうかもしれないと一縷の望みを持ち、ガラスで蓋をしました。大黒柱は診察室の中央にありますから、患者さんの殆どが「先生、これ、どうし たんですか?」と聞きます。皆さん、心配して聴いてくれているのだからと、時間の許す限り説明しました。誰かがBを動かしてくれればという淡い期待もあり ました。
待合室や診察室の雨漏りは続いていました。雨漏りしている上部(2階)は大きなバルコニーになっています。家内は常に空模様に注意するようになりました。雨が降りそうになると、2階のバルコニーをブルーシートで覆うという日々が続きました。
或 る日大工さんが、「台風が来そうだから、ブルーシートを固定してあげよう」と言うので、それはあまりに目立つからと逡巡すると、別の患者さんが「目立った ほうがいい。建設会社への嫌味にもなる」と言います。台風への対策として、大工さんの提案を受け入れました。遠く離れた国道からもこのブルーシートが見え るので、気分はよくはありませんが、これもBが動いてくれたらすぐに取れるのだがと、自分を納得させていました。
しかしそれでもBが動く気配は無く、私と家内のイライラはつのり、地元の警察に相談しました。どうしてもBが対応しないなら、詐欺になるのではないかと相談したのです。
担 当者は随分親身になってくれ、県庁や市役所などの相談窓口を紹介してくれました。雨の日には様子を見にも来てくれました。「詐欺で訴えたとしても、先生に は一銭も戻ってこない。もし欠陥建築だとしたら、損害額を特定して、損害賠償請求の民事訴訟をしたほうがいいのでないですか」とアドバイスもしてくれまし た。私は、故郷の人々の暖かさに感謝しました。反面、建設会社の社長である同級生Bへの腹立ちが増幅し、同時に同級生だからというだけで信用し、任せきっ てしまった自分が、大いに悔やまれました。家内は、受付事務の傍らで雨漏りの始末に追われるという日々に疲れ切っています。
町 へ出かけたときに欠陥住宅に関する書籍を買って研究したところ、建築士に調査してもらう事が必要で、その調査報告書を『私的鑑定書』というのだそうです が、これを証拠として損害賠償が請求できると書いてありました。「裁判だ! 裁判しかないのだ!」と確信するようになりました。
県庁や市 役所に建築士の紹介を頼むと、建築士会や事務所協会を紹介してくれ、そこに頼むと数日間保留された挙句に「そのようなご紹介は出来ません」と断られまし た。知り合いのツテを頼って、県下の建築士を訪ね、直接相談もしました。しかし皆、異口同音に「同業者の仕事にケチをつけるのは勘弁してください」と断 り、話を途中で打ち切ります。20km程離れた県庁所在地の設計事務所にも当りましたが、返事は同じでした。狭い町のことで、業界の人間の多くが顔なじみ だから、誰も協力してくれないのだと判り、孤独感に苛まれるようになりました。
知り合いの弁護士にも相談しました。「建築紛争は ねぇ・・・」と、乗り気ではありません。市役所の法律相談にも行きましたが、対応は同じです。建築紛争は問題が専門的過ぎて、弁護士としては引き受けたが らないのだと正直に言ってくれる弁護士も居ました。こんなに困っている自分に、患者さんなど廻りの人達は随分暖かく接してくれているのに、肝心の建築士と 弁護士が動いてくれない事が、悔しくて情けなくて、マスコミに取材してもらえば、なんとかなるのだろうかとまで考えるようになりました。
買い集めた書籍を恨めしく読み返していると、大阪の建築士の名前が眼に留まりました。その書籍に掲載されている私的鑑定書を作成した建築士で、その訴訟は『全面勝訴』と書いてありました。
早 速大阪に駆けつけました。建築確認図面や請負契約書、工事中や雨漏りの写真など指示されて持参した資料を要領よく確認し、時々質問をはさみながら話をじっ くり聞いてくれました。殆ど私ひとりがしゃべっていたように思います。地元の建築士は、私の話を最後まで聞いてくれる事すらなかったのに、遠くはなれた大 阪で、初めて逢った建築士が3時間以上も話を聞いてくれ、持参した写真を見てあれこれ解説してくれた事が嬉しく、思わず涙ぐんでしまいました。
我が家の雨漏りは構造的な問題に起因している可能性が高いこと、従って改修工事は単なる漏水補修工事では不十分で、構造補強が必要であり、最悪の場合は基礎までも遣り替えなければならない可能性があることを聞かされました。
一 大事です。大変な事になったと思いました。問題は雨漏りだけだと思っていましたが、考えてみれば、大黒柱の足元が固定されていなければ、それは構造的な問 題だという事は私にも充分理解できる事でした。ただこれまで誰もそのようには言って呉れなかったし、自分でも気付かない振りをしていたのかもしれません。 我が家が大変な状態かもしれないという事は悲しく恐ろしい事ではありましたが、自分の話を聞いてくれる建築士がいた事の嬉しさに、変な安堵感を覚えてしま いました。
すぐに、建築士と弁護士が我が家に来てくれました。建築士だけでなく弁護士も一緒になって天井裏や床下に潜り、その場で、何処に問題があるか打合せしている様子で、随分頼もしく感じました。
概 略調査の後、弁護士の話を聞いて訴訟する事に決めたのですが、そのとき、床の穴を隠すように言われました。私はガラス蓋で敢えて公開するに至った経緯を改 めて話しましたが、「損害賠償を請求するという事は、相手が健全経営を維持してくれないと困る。もし悪評が立って倒産するような事にでもなれば、貴方の苦 労は水泡に帰する。」と、諭されました。「今後一切、Bのことを悪く言うのもやめなさい」とも言われました。
その後2度の詳細調査を経て私的鑑定書が完成し、これを証拠として取壊し建て替えに要する費用の損害賠償を請求する民事訴訟を起こしました。
B は、地元の弁護士を立てて争いました。酷い時は15分で裁判が終わる事もあり、気持ちが晴れる事はありませんでしたが、佳境に入り、Bに対する本人尋問 で、私の弁護士の質問にBがシドロモドロであったときは、胸のつかえが少しだけ楽になりました。Bの弁護士は建築には素人のようですが、私の弁護士の口か らは専門用語がポンポン出てきて、専門家であるはずのBが理解できないという場面もありました。「地質調査は行ないましたか?」という私の弁護士の質問 に、Bが「サイディング調査をしました」と答え、「サイディングというのは外壁材の事ですよ。あなたが言いたいのはサウンディング調査の事ですか」と注意 する事もありました。
裁判も終盤に近づいて、現場検証が行なえあれる事になり、我が家に裁判官がやって来ました。大阪の建築士と弁護士 が、天井裏に登ってくれる様頼んでくれると、裁判官は快く応じてくれました。ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外して、私が差し出した軍手を「恐れ入ります」 と嵌めてくれました。私は「うまくいきそうだ」と予感しました。
裁判官が色々質問し、大阪の建築士が答えます。時折Bが異論を唱えました が、建築士がうまくやり込めてくれます。例えば筋違と柱の間に1cm近い隙間があって、建築士は「この隙間が密着するまで変形を許容するのです」と解説す ると、Bが「最初は密着していた。乾燥による収縮だ。問題ではない」といいます。すると建築士が「1cmも収縮するような材料を使ったの?」と聞き、Bは 黙ってしまう、といった具合です。
検証が済み、帰り間際になって裁判官が「何かうかがう事がありますか」と聞いてくれたときには、家内は 泣き出してしまいました。裁判所の検証という緊張感でしばらく忘れていたのですが、轟然と目の前に現れたBに、悔しさがこみ上げてきたのです。私は家内の 肩を抱き、裁判官のほうを見ました。嫌な顔をせず、泣きじゃくる家内を見つめていました。
この検証は大成功だったと思い、弁護士と建築士 を夕食に招待しました。固辞されましたが、既に予約してあると偽り、招待を受けてもらいました。食事の間も嬉しくて、自信が満ちてくるような気分になり、 すぐ近くでクラブを経営している姉にも知らせてやりたいと思いました。弁護士達を「近所で姉が店を出しているのだが、不景気で困っている。是非とも付き 合って欲しい」と連れて行きました。すると、週末でもないのに満席なのです。私が「すみません、折角姉にも逢って貰おうと思ったのに」と謝ると、建築士が 「良かったですねぇ」と言います。「?」何が良かったのか不審な表情をした私に、「ご繁盛で安心なさったでしょう」と。「店に入れない事は、気にしないで 下さい」という言葉を期待していた私には、この反応は大変意外でした。その夜はそのまま別れ、弁護士と建築士は大阪に帰りました。
その後 の法廷で裁判官は和解を勧めました。弁護士は即答を避け「検討します」と言ってその日の裁判は終了しました。法廷の外に出て、私は即座に拒否しました。B に対して鉄槌を下してやりたいという思いが強く、和解などとんでもない話です。しかし弁護士は「向うが提示する和解案の内容を見てから考えましょう」とい い、大阪に帰りました。
数日のうちに、Bの弁護士から私の弁護士に対して、和解案が提案されました。その内容は、
○ 請求金額の8割を支払う
○ 和解後は、Bについて第三者に云々しない
と いうものです。私は「和解しません」と言いました。しかし私の弁護士は、「8割という金額には不満が残るかもしれないが、判決はもっと低い金額しか認めな い可能性もあります。大きなリスクを背負う事になりますよ。」「金額をもう少し上積みするよう、交渉してみましょうか。」「もし判決がこの和解案以上の金 額を認めたとしたら、Bが控訴する可能性もあります。そうなると長引きますよ。」と、和解を勧めます。
建築士にも相談しました。「8割と いう金額がご不満なのですか?」と聴かれましたので、「違います。金額もさることながら、Bが遣った事を公表できないという事が悔しいのです」と答えまし た。すると建築士は「悔しいお気持ちはわかりますが、Bは、既に相当痛手を被っているのではありませんか? だからこそ、このような和解案を提示してきた のではないのでしょうか」と、暗に、今後Bに関する悪評を立てるなと言います。私には、Bが痛手を被っているとは思えません。結局和解には応じず、判決を 求める事にしました。
判決は、私の言い分を100%認める内容でした。弁護士は、Bが控訴するかもしれないと言いましたが結局それも無く、判決から一週間ほど経った頃に、Bの弁護士から支払い時期の相談がもたらされ、事実上確定したのです。
大 阪の建築士にお礼の電話を入れ、「改修するか建て替えるか、ゆっくり考えます」と言うと、「ゆっくり考えてください。しかし、あんまり永くは考えないほう がいいですよ」と言われました。TVに取材して貰おうと思っていると告げると、以前より強い調子で止められました。「ほぼ満額の判決を勝ち取れた事は、す ぐにご近所に知れ渡るのではないですか。そのこと自体、Bが犯した失態が世間に知られるという事ですから、敢えてマスコミに公表しなくても、目的は遂げら れると考えたらいいのでは」と言うのです。俄かには反論できず、言葉を濁して電話を置きました。
判決は、地元新聞に掲載されました。近所 の人や患者さんたちが、口々にお祝いを言ってくれます。「あいつもこれで懲りただろう」と、同級生が来ました。床のガラス蓋を提案した建設会社の部長は 「建て替えの時には宜しくお願いします。安くさせてもらいますよ」と言ってくれました。
Bの会社は、相変わらずあちこち で工事を受注し、折り込み広告やビラも、少しの間は控えていたようですが、すぐに再開しました。患者さんの中に、住宅の新築をBにさせている人が居まし た。私が酷い眼に逢った事を知っているのにと思いましたし、止めた方がいいよと咽喉もとまで出ましたが、やっとの事で堪えました。
裁判が 終わって気が抜けたようになり、息子の大学受験もあったりして、建物に対してこれという事もせず一年が過ぎました。相変わらずバルコニーにはシートが掛 かっていますが目立ちにくくしました。床のガラス蓋は、粗放を決めた時にベニヤに替えたままです。雨漏りは、漏ってくる場所が数箇所はっきりしてきました ので、天井内に洗面器を置いて受け、初めてくる患者さんは雨漏りに気付かないようにしました。
或る日、大黒柱の据え付け方がおかしいと最 初に教えてくれた大工さんが診察に訪れ「先生、いつになったら建て替えるの?」と聴かれました。「なかなか忙しくてねぇ」と適当な答えを返すと、「息子さ ん、東京の大学に行ってるんだって?」とか「奥さん、綺麗になったね」とか「先生、しょっちゅう泊りがけで魚釣りに出掛けてるでしょ」などと、訳のわから ない話題を持ち出すのです。気になって、診察を終えた後、家内に話しました。家内も「変な人ねぇ」と言い、気になっている様子です。
翌日・・・思い当たりました。
判決を得て間も無く、Bから弁護士を経て数千万の賠償金が支払われたのですが、その現金を銀行に預けています。そのまま手はつけていません。
息子の学費や下宿費用は、家内の工面と本人のアルバイトで支えています。家内は相変わらず化粧する時間も惜しんで忙しく働いています。私はと云えば、魚釣りだけが唯一の趣味で、これだけは昔から家内も認めてくれているのです。
要するに賠償金には全く手をつけずに今日まで過ごして来たのですが、建物を建て替える事も改修する事もせずにすごしてきた事が、周囲の人々の眼には、賠償金を『儲けた』と思われていたのです。大工さんはそれとなく忠告してくれたのでしょう。
なんという事でしょう。友人だと思っていたBに裏切られ、数年かけた裁判がやっと終わったところだと言うのに、あれ程親身になってくれたご近所や患者さんが、私達をそんな眼で見るようになっていたとは。
判決が確定した直後に、大阪の建築士が云ってくれた言葉を思い出しました。
「あんまり永くは考えないほうがいいですよ」と。
2010年11月26日 16:29 -CATEGORY: コラム
「お勧め」できるような代物では、決してない。
このスニーカーは、かれこれ6年近く愛用している。といっても、これまで使っていたものより心地よいとか、他より優れているとか、或いは他人様に誇れるブランド商品であるという、相対的或いは絶対的評価に値するようなものではない。何を隠そう私は、生まれてこのかた、スニーカーを保有したのはこの一足のみである。そして、これを愛用しているという、なんとも安きに流れた嗜好ではある。
私は、幼い頃から、左足の親指の骨に病を内蔵しており、何度となく手術や外科的処置を繰り返していた。そのせいで、足の甲を覆うスニーカーは、学生時代を通じて履いた事が無かった。大人になってからは、尚更スニーカーを履く機会も無く、むしろ男中心の建築界で、思いっきりつっぱって生きて来たから、さすがにピンヒールとまでは行かないが、ハイヒールでカッカッカッと闊歩する事も、緊張感を持続する重要な要素だった。
平成7年の大震災の直後、どうしても自分の目で被災地の状況を確かめてみたくなり、事務所のスタッフとともに現地を訪れようとした時、いつものようにハイヒールを履いていた私に、スタッフが思わず吐いた『そんな靴履いてたらあかんわ』の助言に従い、生まれて初めてスニーカーに触れる事になる。
大阪駅のショッピングモールのスポーツ用品店に入ったが、履いた事が無いのだから、商品を選ぶことが出来ない。ハイヒールとスニーカーでは、あまりにも履き心地が違い、驚いたことに靴の中で足がじゃんけんできる。「パー」が出せるのだ。しかも、足首が直角に曲がるから、アキレス腱やふくらはぎが伸びて気持ちいい。とりあえず、ハイヒールとは趣が正反対の、いかにも漫画的な風貌のスニーカーを選んだ。(写真では判りにくいが、靴の前の幅が大きくて、名探偵コナンか、ハタマタあられちゃんか。)
その場で履き替えて阪神電車に乗り被災地に向かう。成る程、被災地の状況は、いたるところで大地が起伏し、マンホールが道路から飛び出し、調査に訪れた住宅内は食器の破片が散乱し、土間が割れてポッカリ口を空いていた。ハイヒールだったら歩けたもんじゃなかっただろう。
その後、このスニーカーは大活躍する。震災を契機に注目される事となった『欠陥建築』の調査を依頼される事が多くなり、木造住宅の床下を這いまわったり、小屋裏を調査する時には欠かせない。ハイヒールだったらとてもできなかっただろう等と、当たり前の事に感動している。
昨年初めから、意を同じくする建築士・弁護士たちとともに、「ASJ:欠陥建築研究会」を運営し、月1回、欠陥建築の相談を受けている。様々な問題点の、何処が・何故欠陥なのか?考えさせられる事となり、自分の過去の仕事を振り返って、ゾッとする事も珍しくない。建築主の要望も (私が女性であるからか)『きめの細かい設計』という言葉に代表される内容であったのが、『厳しい監理』或いは『安全な建物』に変貌した。
これまで検査といえば竣工検査のみであり、殆どスタッフまかせにしていた私だったが、昨日の配筋検査では、このスニーカーが私をしっかり支えてくれた。(縦横のスラブ筋の間にスニーカーがスッポリと嵌まり込んで抜けないのには参ったが・・・) スニーカーを履いてみた事が、私の仕事を大きく変えることになった。