2010年11月29日 18:04 -CATEGORY: 実録『或る老人の場合』
実録『或る老人の場合』
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これは、ひとりの資産家老人が見舞われた建築騒動の物語で、私が接した事実に、多少脚色を加えたフィクションです。
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今年の正月、老人は、例年の様に子供や孫に囲まれ、賑やかな時間を満喫した。
冬 景色の庭は、庭師に大金を支払っている割には寂しくなってきた。粋を凝らした池も、水を抜いてからどれくらい経つのだろうか。子供達が小さい頃は、この池 で素っ裸になって泳いでいたものだ。庭の隅にそびえるクスノキは長女のお気に入りで、小学校から帰ってくると、制服を着替えもせずこの大木に登って妻に叱 られていた。4人の子供達の喧騒を、老人は嫌いではなかったが、たまにはゆっくり考え事をしたいと離れを建てた。しかしこれも、ちょっと油断した隙に受験 勉強の為と称して息子に乗っ取られてしまった。
他人には不肖の子供達だとこぼしてはいるが、やはり親ばか、自慢の子供達である。
物心ついたときからこの屋敷で、何の苦労も無くのびのびと育った。世間知らずのお坊ちゃまお嬢ちゃまのまま大人になり、未だに老人が妻に内緒で少し纏まった小遣いを遣ると、嬉しそうに受け取ってくれる。妻は妻で、自分に内緒で小遣いを遣っているのだろう。
老人夫婦にとって決してしんどい援助ではなかった。世間に後ろ指を指される事の無い、純な人間に成長してくれた事が嬉しかった。
老 人は、一介の職人から身を起し、昭和30年代に、500坪を超える屋敷の家を手に入れた。日本の高度経済成長の波に乗り、発足させた会社は順風満帆では あったが後継者に恵まれず、バブル崩壊にあわせて会社を整理するハメに至った。息子や娘が後を継いでくれる事を、期待しなかったといえば嘘になる。が、無 理強いするつもりも無かった。自分一代で思い切り商売し、恥ずかしくないだけの資産を築いた。この国の経済は、昔とは様相を一変してしまった。潮時と判断 したのだった。
清算を決定すると、得意先から意外なほどの注文が殺到し、従業員にも充分なことをしてやれたと、老人は得意満面であった。この住ま いについても、一切の担保のつかない綺麗な形で残す事が出来た。お嬢様のまま年老いた妻は、この屋敷で安泰に余生を送れるだろう。息子達も、そろそろ人生 に欲が出てくる頃だ。誰かひとり位はこの屋敷を継いでくれるかもしれない。そうすれば、自分が先立った後も安心だ。
会社の清算がようやく 落ち着いた頃、老人は、急に心配になった。「ワシに万一のことがあったとき、果たして500坪のこの家を無事に相続できるんやろか?」 会社の清算に追わ れていたときは毎日が忙しく、誰かが何とかするだろうと楽観していた。気付かせてくれたのは、A社という建設会社だった。
ある日突然この家を訪 れ、「社長。これだけのお屋敷を相続するとなると大変ですよ。税金ごっそり持っていかれます。子供さんたちのために、この家を潰して賃貸マンションを建て るべきです。社長の懐は一切痛みません。借り入れのお手伝いはバッチリ致します。」と営業マンが言う。老人が借金を抱えて賃貸マンションを建てれば、子供 達が大きな負担無く財産を相続できるという単純なもの。老人は思った。「そう言えば会社を整理したとき、個人資産も考えておかないと、相続のときに子供さ んが苦労されますよと税理士に言われていた。会社の整理に躍起になっていて忘れとった。」
老人はA社の社名には馴染みがあった。有名企業だ。この あたりでは随分沢山建てている。「いっぺん計画させてください」と営業マンが言うので、それならと、計画依頼書にサインし10万円の費用を支払った。A社 は、すばやく計画案と試算表を用意してくれた。「これならいいかも知れない」と思い、息子に見せた。
「オバチャンの旦那さん、設計事務所やったんちゃう? 見て貰うたら?」
そうだった。老人の妹が、設計事務所の経営者に嫁いでいた。
老人にとって妹の亭主はイマイチだった。大阪では名のとおった有名事務所ではあるが、老人とは何故か疎遠で、これまで借家を建てたり家を改造するときにも、一切相談した事はなかった。が、折角息子が言うのだからと、久しぶりに電話してみた。
そ の日のうちに妹が飛んできた。「お兄ちゃん、何考えてんのん! A社なんかあかん あんなとこ頼んだら滅茶苦茶されてしまうでぇ うちの人もびっくりして たわ あんなエゲツナイ会社無いねんから 私でも知ってる位やよ ホンマよう相談してくれた事やわ ひどい眼に逢うてたかもしれへん」 まさにA社に対す る罵詈雑言の嵐だったが、老人は目を丸して聴き、これを信じた。即刻A社に連絡し、その話は無かった事になった。
(続く)
2010年11月29日 18:02 -CATEGORY: 実録『或る老人の場合』
それから3年、相続対策が老人の頭を離れる事はなかったが、子供達は皆そのことには無関心のようで、正月に全員が揃ったときも、誰からも話は出なかったし、老人からも切り出さなかった。
子供達が引き上げ、孫達の喧騒も消えて老夫婦に静かな生活が戻ってほっとした1月7日の夜7時頃、突然インターフォンが鳴った。毎日来ている家政婦も既に帰った後だったので、老人が応対した。
「どなたさん?」と聞くと、B社と名乗る。老人は新聞の株式欄でこの社名に覚えが有り、株価が好調である事に好感を抱いていたので玄関を開けた。老人の期待通り、トップビジネスマンを絵に描いた様な紳士と、いかにも技術者らしい若者が立っていた。
老人はふたりを応接間に通した。耳が少し遠くなった妻が、大音量でテレビドラマを見ていたがすぐに消させた。「家政婦が帰ってしもぅとりまんので、何も出ぇしまへんが」とことわり、妻とふたりで聴いた。
紳 士は、「賃貸マンションのご提案にお伺いいたしました」という。素晴らしい装丁の会社案内やパンフレットをいくつも見せ、「「わが社は、大阪の賃貸業界を 押えておりまして、抜群の入居率なんですよ」「わが社以外でお建てになった方々は、入居者が集まらなくて大変困っておられます」「わが社は30年の家賃保 証を致しておりますので、なんのご心配もありません」と、夢のような事を言ってくれた。
老人は嬉しかった。自分が借金を抱えて死ねば、子供達が楽に相続できるという事は、数年前のA社の説明で理解していたが、賃貸マンションを建てても入居者が居なければ大変な事になる。それを30年間保証してくれるなら、なんの心配も要らないじゃないか!
A社の時は、家賃保証の話は無かった。今度はまともな話だ。さすが、上場会社は違う。大会社だからこそ、出来る事なんだろう。こんな機会を逃す手はない。
たまたま金庫に、この屋敷の図面が入れてあったので見せた。7軒ある隣地の一軒と、境界線が確定せずに揉めていたが、つい先頃、その家の主人が亡くなり、遺族が境界確定に協力してくれた。すぐに調査士に図面を作らせたのが、昨年の秋だった。それを金庫に入れてあったのだ。
紳士は「いやぁ、ご立派なお屋敷だとは思っていましたが、広大ですなぁ。これだけの敷地だと、君も腕が振るえるじゃないか」と、傍らの技術者に言った。技術者は頬を紅潮させ、「はい。頑張ります」と素直そうに答えた。
(続く)
2010年11月29日 18:00 -CATEGORY: 実録『或る老人の場合』
二日後の1月9日の夜7時頃、紳士が、前と同じ技術者を連れて訪れた。今度も夜分なので、「次からは昼間に来とくなはれ、お茶も出されしまへんさかい」と いった。しかし老人は内心「夜まで働くこんな社員が居るから、この会社の株価は高値安定しとるんや」と、大いに満足だった。
技術者が小脇に抱えていたケースから書類を取り出した。この家を賃貸マンションにする計画案がそこにあった。老人は驚いた。「おととい来たばかりなのに、もぅ図面が出来ている。この会社は一所懸命になってくれとるんや」
老 人には、計画案の内容も良し悪しも判らない。図面は、しばらく目の前にあったが、老人が見ることは無かった。いや、見はしたが、眺める事しか出来なかっ た。5階建で、全てワンルームだと言うので「全部マンションやったらワシ等が住むトコおまへんがな。何処に住みまんねん?」と聞いた。紳士は、「失礼しま した。考えが至りませんでした。この最上階のワンフロアを社長ご夫妻のお住まいにしましょう」といった。技術者は「すみません。すぐに計画し直します」と 明るく答えた。
紳士は、「計画案を修正させて頂きますのに、お申込の書類を頂戴できませんでしょうか。会社がうるさく申しますので」と、『調査企画依頼書』を見せた。
費 用は70万円。後日振り込めばいいと言う。老人は、「A社の時にはいくらやったかいなぁ? もぅ少し安かったように思うが」とは思った。しかし「勿論実際 にお建てになる時には、この70万を内金にさせて頂きますので、無駄にはなりません」と言う紳士の言葉を受け、その場でサインした。妻は「子供に相談せん でもよろしいんか?」と言うが、「70万程度の出費で、子供に相談する事もあるまい。もっと具体的になってからでも遅ぅはないがな」と突っぱねた。
(続く)
2010年11月29日 18:00 -CATEGORY: 実録『或る老人の場合』
一週間後の1月16日、また同じふたりが来た。今度は家政婦が居る時間だったので、お茶とお茶菓子でもてなした。お茶菓子は、家政婦にわざわざ買いに行か せた。錫の茶托に乗せた湯呑をテーブルに置くときカチャカチャ音を立て、「どうぞ」の一言も言わない。家政婦が随分ぶっきらぼうにするので、少し腹が立っ た。「愛想の悪いおばはんで、すんまへんなぁ」
見せてくれた計画は、当初と同じ5階建のマンションで、4階まではワンルーム、5階が自分 達の住まいだという。試算表もあった。家賃保証の30年を超えて、40年目まで揃っている。老人が見たのは、最終行の「キャッシュフロー」だった。毎年 150万円程度しかない。ちょっと少ないなとは思ったが、しかし僅かでも残っていけばいいかと楽観した。
紳士が、住宅金融公庫と話をつけてくれた と言う。公庫なら固定金利だし、間違いないだろう。「いやぁ苦労致しました。金融公庫を説得するのは大変だったんですよ。勿論私が直接交渉いたしました。 しかしねぇ、公庫が融資してくれますのも、わが社だからですよ。他社だったらこんな訳には行きません。わが社はねぇ、公庫に格別の信用がありますから ねぇ」
老人は本当にラッキーだと思った。大阪の賃貸業界を押えている大企業が、自分のために公庫と交渉してくれ、しかも30年も家賃保証してくれる。試算表では、保証が切れてからもキャッシュフローが計上されている。これなら少々の借金をしても、大丈夫だ。これで安心できる。
建 築工事費は5億という。「ちょっと高いかも知れん」と思ったが、「自己資金はご不要です。工事費の殆どは公庫が融資してくれる手筈ですし、足らず分につい ては、私どもの系列会社が融資させていただきます」というし、第一家賃保証してくれるのだから、確実に返済できる。少々借金しても、返せるのならいいでは ないか。「5億も出すんやったら、外側はタイル貼りやろな」と精一杯の言葉を吐いてみた。紳士は「いやぁ、厳しい事を仰る」と顔をしかめたが、了承させ た。「商売の事はまだまだ現役でっせぇ。年寄やと思うて舐めたらあきまへんでぇ」と、老人は悦に入った。
「本来なら、今日この時点でご契約いただくのですが、今は支社長が海外出張しておりまして、私の責任で調整できる幅がございます。あと2・3日で実施設計が完成いたしますので、ご契約はそのときで結構です」と、また老人を特別扱いしてくれた。
「さよか。一応、長男にも見せときたいけど、3日もあったら大丈夫や」
(続く)
2010年11月29日 17:58 -CATEGORY: 実録『或る老人の場合』
約束どおり3日後の1月19日、1cm程もある厚さの図面と契約書を持って来た。呼び寄せていた長男の到着が、仕事の都合で遅くなって申し訳ないと思った が、紳士も技術者もニコニコして待ってくれていた。長男と名刺交換させたとき、「ご子息はお医者様でいらっしゃるんですか! 優秀な息子さんで。羨ましい 限りですなぁ」とびっくりした様子だ。「どゃ、わしは上客やろ」と、老人は内心でほくそえんでいた。
「すまんが、どんな建物なんか説明してやってくれまっか」と頼むと、「勿論です、悦んで」と快く説明を始めた。
長 男は、「俺、そんなん聞いたってわかれへん」と言ったが、「お前にやるんやさかい、聞いとけ!」と言った。B社が大会社である事や、大阪じゅうの賃貸マン ション業界を押さえている事、30年も家賃保証してくれる事、そして資金が住宅金融公庫などから出る手筈を整えてくれた事などを聞いて、長男も「えぇ話や ん」とまんざらでもない表情だ。「5億って凄い大金やけど、俺返されへんでぇ」と言ったが、「せやからな、この会社やったら家賃保証してくれんるからな、 大丈夫や」
これで万全だ。長男も同席の上、工事請負契約書に署名押印した。こんなに一所懸命にやってくれているからと、工事着手金の2500万円から先に支払った70万円を差し引いた2430万円を、翌朝には振り込む事にした。
「忙しいトコ悪いんやが、もうひとつ計画してくれるか」と、今度は娘に残してやろうと考えていた土地の計画を依頼した。二つ返事で引き受けてくれた。
(続く)